長町について ABOUT US

長町は江戸時代、奥州街道沿いの宿場町として栄えていました。
奥州街道は江戸(東京)から青森までの人・物の流れを支える重要な道路であったことからも、
たくさんの人の往来があった街でした。
道行く人の宿を提供するのみならず、商店としても発展を進め、今日の長町商店街へとつながっております。

3つの商店街エリア
長町駅前商店街
サンカトゥール商店街
長町一丁目商店街
長町駅前商店街
長町駅前商店街振興組合の名前の由来は文字通り、JR長町駅を中心にした駅前商店街から命名されました。
しかし、長町駅前商店街振興組合の町の歴史を辿って行くと、遠く古くは奥州街道の第一宿場町・JR長町駅・秋保電鉄・仙台市電・仙台市地下鉄・仙台市営バス・宮城交通という様々な交通の起点(ステーション:駅)であることが名前の由来ではないのかと思えるほど交通と商店街は切っても切れないものになっております。

サンカトゥール商店街
「サンカトゥール商店街振興組合」は、この長町3丁目・4丁目商店街により結成されました。「サンカトゥール」の「サン」は3丁目の3、「カトゥール」はフランス語の4であり、その他に「太陽ーサン」や「参加」、「通る」に通じる意味合いも込められています。名付け親は、組合の前理事長である畑文雄。「商店街の魅力は、や はりお客様とふれあいであり、きめ細かなコミュニケーション。私たち商店主 だけでなく、お客様もいっしょに参加して、魅力的な商店街ができるようにと願いを込めて名付けました」。

長町一丁目商店街
長町1丁目商店街はみんなにやさしい街づくりをめざしてます。
『タウンモビリティ』『街かどトイレ』など、みんなにやさしい街づくりを目指す長町一丁目商店街の新しい取組みです。仙台市初の「段差のない」バリアフリー道路も完成し、車椅子・電動スクーターをご利用の方にも、便利にお買い物いただけます。あたたかい笑顔がみなさんをお待ちしております。
スポット紹介

長町駅
長町駅
JR長町駅は、1894年(明治27年)4月16日に日本鉄道の駅として開業しました。当初は物資輸送の拠点としての役割が大きく、特に戦前・戦中は軍需工場が周辺に立地していたことから、貨物輸送の重要な駅の一つでした。
戦後になると、長町エリアは住宅地としての開発が進み、駅の利用者も増加。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東日本の管轄となりました。その後、再開発が進み、2011年には東日本大震災の影響を受けながらも復興を果たし、駅周辺の都市整備が本格化しました。


大年寺惣門
大年寺惣門
大年寺は黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗の一つです。
伊達家4代綱村公以後の歴代藩主の霊廟(お墓)でした。とても大きなお寺でしたが、明治維新後に取り壊され、現在はこの門が唯一の遺構です。仙台市の文化財指定です。創建は、五代藩主伊達吉村公の享保初期頃のと言われています「東桑法窟」の扁額(へんがく)が見えます。


広瀬橋
広瀬橋
広瀬橋の入口にある青い道路表示の看板に「日本で最初のコンクリート橋」とあります。この広瀬橋が、長町と河原町の間をながれる広瀬川に橋が架けられたのは1668年(寛文8年)でした。仙台大橋が1601年(慶長6年)に架けられたのに次いで仙台で2番目に架けられたものです。当時、奥州大名の江戸への参勤交代で渡る専用の橋でしたが、大雨や川の氾濫により何度も壊れていたそうです。
その後、東京帝国大学教授廣井勇博士の指導で設計され、宮城県技師杉野茂吉の監修により、1909年(明治42年)に日本で最初の鉄筋コンクリート・桁式橋として完成し、それまでの「永(長)街橋」に変わって「広瀬橋」と命名されました。


常蔵院十八夜観音堂
常蔵院十八夜観音堂
広瀬橋からほど近くに、常蔵院十八夜観音堂があり、仙台三十三観音信仰の第三十二番札所です。当初のお堂は、もと鏡ヶ池の前から大年寺門へ通じる北側で、今も枝垂桜の老樹のある根岸(現在のロイヤルホストの近辺)にありました。
835(承和2)年に草創された修験の寺院で、 1064(康平7)年に茂ヶ崎(大年寺山)に再興され、伊達家の墓所として大年寺が建立されることとなったため、1695(元禄8)年に現在の場所に移転したものです。現在のお堂は1789年に建てられたようで、欄干の擬宝珠(ぎぼし)には江戸時代の銘が残っています。


笹谷街道
笹谷街道
サンカトゥール商店街の南端、岩手銀行角からはいる。旧称山根街道が笹谷街 道の起点と言われている。ここは奥州街道と笹谷街道の分岐点であり、岩手銀行向かいの川熊ビル(長町3丁目)の前には現在「笹谷道」という道標が立つている。
この奥州街道と山形を結ぶ横断道は、笹谷街道と呼ばれる以前より、古くは奈良時代から物、人、情報を運ぶ街道として栄え、江戸時代にいたっては塩魚、穀類、生糸、紅花などの物資や商人、そして出羽三山参りの旅人の往来で賑わった。
現代、我がサンカトゥール商店街は、同じく山形側の笹谷街道の起点である山形市七日町一番街商店街振興組合と姉妹提携し、さらには笹谷街道沿 いの川崎町商店会、西多賀商店街と連携の輪を広げ交流を図っているところである。


蛸薬師
蛸薬師
写真の右側が蛸薬師さまです。
このお堂には「観音様に蛸がついてこの地に打ち上げられた」という伝承があります。慶長16年(1611年)に発生した慶長奥州地震津波に関係があるようです。M8.7といわれています。
左手は舞台八幡神社です。1057年の始まりといわれます。


秋保電鉄
秋保電鉄
秋保電鉄(正式名称:秋保温泉電気鉄道)は、かつて宮城県仙台市(旧宮城郡)で運行されていた地方鉄道で、仙台市中心部と名湯・秋保温泉を結ぶ交通手段として利用されていました。
大正時代に開業し、昭和初期には観光輸送や沿線住民の足として重要な役割を果たしましたが、戦後のモータリゼーションの進展により、1961年(昭和36年)に廃止されました。


青果市場
青果市場
長町にはかつて、「長町青果市場」と呼ばれる青果市場が昭和初期に存在していました。この市場は、仙台市および宮城県内の青果流通の中心的な役割を果たし、地域の食文化と経済を支えていましたが、1975年(昭和50年)、青果市場は若林区の六丁の目地区に新たに建設された「仙台市中央卸売市場」に統合され、長町の市場はその役割を終えました。


宿場時代
宿場時代
長町は、江戸時代に奥州街道の宿場町として栄えた歴史を持つ地域です。奥州街道は、江戸(現在の東京)と東北各地を結ぶ重要な街道であり、長町は仙台城下から南へ約3kmの位置にある宿場として発展しました。
旅人や商人、藩の役人たちが往来する拠点であり、宿場には本陣・脇本陣のほか、多くの旅籠(宿屋)が並び、商人たちが集う問屋や商家が軒を連ねていました。特に、仙台城下と白石・江戸方面を結ぶルート上に位置していたため、物資の流通拠点としても機能し、農産物や特産品の取引が盛んに行われました。
